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ビル・バウワーマンとコルテッツ、ワッフルトレーナー — ナイキの原点を作った男
写真素材:Nike / Department of Nike Archives

ビル・バウワーマンとは? ナイキの原点を作った男と、コルテッツ・ワッフルの誕生

2026.11.08約10分

INTRODUCTION

ナイキの歴史は、選手の足元から始まった。

もっと軽く、もっと走りやすいシューズを。その探求が、世界的なスポーツブランドの原点となった。

スニーカーカルチャーを語るうえで欠かせない“NIKE(ナイキ)”。数々の名作を送り出してきたブランドの歴史には、選手を指導しながら、自ら靴を作り替えた一人のコーチがいる。共同創業者の“BILL BOWERMAN(ビル・バウワーマン)”だ。

選手の走りを観察し、足の状態を調べ、シューズを分解する。素材や構造を変えた試作品を履かせ、再び走りを確かめる。後にナイキを代表する“CORTEZ(コルテッツ)”やワッフルソールは、そうした地道な改良から生まれた。クラシックなデザインとして親しまれる名作の背景には、ランナーの能力を引き出すための工夫が積み重なっている。

01THE COACH

ビル・バウワーマンとは何者か。

選手とバウワーマン
オレゴン大学の選手とバウワーマン、1969年頃 / Nike, Department of Nike Archives

その指導は、練習メニューや記録の管理にとどまらなかった。選手が力を発揮するためには、足元の道具にも改善の余地がある。走るたびに持ち上げるシューズを軽くできれば、選手への負担を減らせる。足に合う構造を作れれば、練習をより快適に続けられる。コーチとして日々選手と接する立場が、シューズ開発へ向かう出発点になった。

1911年、米国オレゴン州ポートランドに生まれたバウワーマン。オレゴン大学で学び、高校での指導経験などを経て、1948年に母校へ戻った。大学の陸上チームを率いた24年間で、チームを4度のNCAA優勝へ導き、ケニー・ムーアやスティーブ・プリフォンテーンをはじめ、多くの優れた選手を育成。1972年にはミュンヘンオリンピックの米国陸上代表ヘッドコーチも務めている。

地域の陸上大会や競技環境の整備にも関わり、ユージーンが陸上の街として発展する土台づくりに尽力。選手の育成と、走る環境を整える活動を並行して続けた人物だった。

02THE WORKSHOP

理想のランニングシューズを、自分の手で。

研究室でシューズを作るビル・バウワーマン
ユージーンの研究室、1980年頃 / Nike, Department of Nike Archives

既存の靴を分解して構造を調べ、アッパーやスパイクの部品を組み替える。さらに選手の足の輪郭や幅を測り、かかとや足首の違いを記録。素材も一つに絞らず、軽さ、柔軟性、耐久性の組み合わせを探った。

ケニー・ムーア用の手製シューズ・側面
ケニー・ムーア用の手製シューズ・側面 / Nike, Department of Nike Archives

1950年代、バウワーマンは既製のランニングシューズに改良を加え始める。当時のシューズは重いレザーや金属の部品を使ったものが多く、軽量化は大きな課題だった。メーカーへ改善案を送っても、思うような反応は得られない。そこで彼は、地元の職人から製靴を学び、自らの手で解決策を探るようになる。

この開発では、試作品を作ることと、選手に履かせることが一続きになっていた。足に当たる場所、破れた部分、ソールの減り方。その一つひとつが、次の改良につながる。完成した靴を選手へ渡した後も、走った結果を見て作り直す。その繰り返しが、バウワーマンのシューズづくりを支えていた。

03JAPAN & BLUE RIBBON SPORTS

フィル・ナイト、日本、そしてナイキの前身。

バウワーマンとフィル・ナイト
バウワーマンとフィル・ナイト / Nike, Department of Nike Archives

バウワーマンの試作品を履いた学生の一人に、“PHIL KNIGHT(フィル・ナイト)”がいた。コーチと教え子として出会った二人は、後に事業のパートナーとなる。1964年、ナイキの前身となる“BLUE RIBBON SPORTS(ブルーリボンスポーツ)”を設立。日本のオニツカが製造するランニングシューズを、米国へ輸入して販売する事業を始めた。

BLUE RIBBON SPORTS TIGER SHOESの看板を掲げた初期BRS店舗
初期のブルーリボンスポーツ店舗。「TIGER SHOES」の看板がオニツカ製シューズの販売を伝える。掲載:LogoMyWay
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鬼塚株式会社の前に座る創業初期の鬼塚喜八郎
創業初期の鬼塚喜八郎。鬼塚株式会社の社名が見える建物の前で。写真:Onitsuka Tiger
資料の掲載元 ↗

この関係は、バウワーマンが考案した改善案を製品へつなげる機会にもなった。同年、東京オリンピックに合わせて来日した彼は、オニツカの創業者である鬼塚喜八郎らと対面。工場では裁断や縫製の工程を学び、自らのアイデアについても話し合った。

米国の競技場で見つかった課題が、日本の製造現場へ送られる。そこから届いた試作品を、再び選手が履いて走る。ナイキの初期のものづくりには、オレゴンのコーチと日本のシューズメーカーを結ぶ、この往復があった。

04CORTEZ

長く走るためのクッション。

ナイキ コルテッツ
ナイキ コルテッツ / Nike, Department of Nike Archives

オニツカ時代に育てられたコルテッツの開発は、ナイキのシューズへと引き継がれ、1972年にナイキ コルテッツが発売される。特徴の一つが、柔らかさの異なるスポンジラバーを組み合わせたミッドソール。かかとへの衝撃を受け止めるクッション構造には、長く走るための工夫が盛り込まれていた。

オニツカ時代のCORTEZ、後のTIGER CORSAIRの資料写真
オニツカ時代のCORTEZ(後にTIGER CORSAIRへ改称)。ASICS公式年表掲載の資料写真。写真:ASICS
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ケニー・ムーア用の手製シューズ・靴底
ケニー・ムーア用の手製シューズ・靴底 / Nike, Department of Nike Archives

コルテッツ誕生へつながる重要な出来事が、1965年に起きる。オレゴン大学の長距離ランナー、“KENNY MOORE(ケニー・ムーア)”の足に骨折が判明したのだ。バウワーマンが練習用のシューズを調べると、それはランニング用として扱われていた走高跳用のモデルだった。

靴を分解すると、クッションやアーチの支持性に問題が見つかった。バウワーマンはムーアのためにシューズを作り、日本の生産パートナーへサンプルと指示書を送付。クッション性や耐久性を改善した試作品を用意し、実走を重ねながら調整を続けた。

ソールを厚くする。底面を広げる。足型とアッパーの組み合わせを変える。ムーアはさまざまな試作品で1,000マイル、約1,600km以上を走り、その結果が改良へ反映された。一人の選手の足を支えるための取り組みが、後のトレーニングシューズの基礎になったのである。

ホワイトのソールに挟まれたブルーのラインも、その構造と結びつく。素材の密度の違いを目立たせるために用いた色が、コルテッツを印象づけるディテールになった。レッドのスウッシュとブルーのラインが映える姿には、機能の改善がデザインへとつながった、初期ナイキらしい発想が表れている。

05WAFFLE

朝食の道具が、靴底を変えた。

ワッフルトレーナー・側面
ワッフルトレーナー・側面 / Nike, Department of Nike Archives

この実験は、後の“WAFFLE TRAINER(ワッフルトレーナー)”へと発展する。トレーニングで使うためのクッションや安定性も追求し、より多くのランナーへワッフルソールを届けたモデルだ。ブルーのアッパーとイエローのスウッシュ、その下に並ぶラバーの突起。初期ナイキを代表する姿は、グリップを改善しようとした試行錯誤から生まれた。

ワッフルメーカー・現存資料
ワッフルメーカー・現存資料 / Nike, Department of Nike Archives

クッションと並び、バウワーマンが追求したのがグリップだった。軽さを保ちながら、路面をしっかりと捉えること。その発想のきっかけとなったのが、家庭にあったワッフルメーカーである。

規則的に並ぶ凹凸を靴底へ応用できないか。バウワーマンは調理器具へウレタンを流し込み、ソールの実験を始めた。最初の試みでは材料が固着し、ワッフルメーカーが開かなくなる。それでも実験は続き、型や素材の調整を重ねながら、走るための靴底へ近づけていった。

そこから生まれた初期の試作靴が、“MOON SHOE(ムーンシュー)”だ。1972年の米国オリンピック選考会に向け、バウワーマンとジェフ・ホリスターらが手作業で製作。薄いアッパーとワッフル状のソールを組み合わせた姿には、軽量化を追求した簡潔な構造が見て取れる。土に残る独特の足跡が、宇宙飛行士の月面の足跡を思わせたことから、その名で呼ばれるようになった。

初期のワッフルアウトソール
初期のワッフルアウトソール / Nike, Department of Nike Archives
ムーンシュー・側面
ムーンシュー・側面 / Nike, Department of Nike Archives
ワッフルトレーナー・アウトソール
ワッフルトレーナー・アウトソール / Nike, Department of Nike Archives

06RUNNING CULTURE

競技場から、日常のランニングへ。

初期ランニングシューズ・集合別カット
初期ランニングシューズ・集合別カット / Nike, Department of Nike Archives

バウワーマンが取り組んだのは、競技用シューズの開発だけではない。1960年代にはユージーンでジョギングの普及に関わり、1967年には共著『JOGGING(ジョギング)』を出版。記録を競う選手に加えて、日常の運動として走る人々へもランニングを伝えた。

ビル・バウワーマンとW・E・ハリスの共著JOGGINGの当時の書影
『Jogging』の当時の書影。The Olympic Museumが1967年の資料として紹介。掲載:Google Arts & Culture / The Olympic Museum
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走る人が増えれば、シューズに求められる役割も広がっていく。長い距離を快適に走れること。繰り返しの練習に耐えられること。さまざまな路面で使えること。コルテッツやワッフルソールが追求した要素は、トップ選手と日常のランナー、その双方の足元につながっていた。

ランナーを指導し、走るための道具を改良し、走る習慣を広める。バウワーマンの活動をたどると、初期ナイキのシューズと、ランニングが生活へ浸透していった時代が重なって見えてくる。

EPILOGUE

名作に残る、バウワーマンの問い。

コルテッツのソールを横切るライン。ワッフルの底面に並ぶ突起。今では見慣れたディテールも、その背景をたどれば、ランナーの足に起きた問題や、路面への不満に行き着く。

バウワーマンは、それらを見過ごさなかった。選手の足元を調べ、靴を分解し、素材や構造を変えて、もう一度走らせる。名作を生んだのは、改善すべき部分を探し続ける姿勢だった。

もっと軽く、もっと快適に、もっと長く走れる靴を。コルテッツとワッフルには、その問いに向き合った工夫が残っている。ビル・バウワーマンの歩みを知ることは、クラシックな一足を、走るために生まれたシューズとして見つめ直すことでもある。

TIMELINE

人物年表

  1. 1911年

    2月19日、米国オレゴン州ポートランドに生まれる。

  2. 1934年

    高校で教員・スポーツ指導者としての歩みを始める。

  3. 1948年

    母校オレゴン大学の陸上チームを率い、選手の育成に取り組む。

  4. 1950年代

    既製のシューズを分解し、軽量化や足に合う構造を探る。手製の試作品を選手に履かせ、改良を重ねる。

  5. 1962年

    オレゴン大学をNCAA団体初優勝へ導く。ニュージーランドでアーサー・リディアードのジョギングに触れる。

  6. 1964年

    フィル・ナイトとブルーリボンスポーツを設立。東京五輪に合わせて来日し、鬼塚喜八郎らと靴づくりを話し合う。

  7. 1965年

    ケニー・ムーアの足の故障を受け、クッションや支持性を改良。オニツカへ試作品と指示書を送る。

  8. 1967年

    医師W・E・ハリスとの共著『Jogging』を出版。健康のために走る習慣を広める。

  9. 1970年

    オレゴン大学が4度目のNCAA団体優勝。ワッフルメーカーを使い、グリップと軽さを両立する靴底の実験を進める。

  10. 1972年

    ミュンヘン五輪で米国陸上代表ヘッドコーチを務める。ナイキ コルテッツが登場し、米国五輪選考会に向けてムーンシューも製作される。

  11. 1973年

    オレゴン大学のヘッドコーチを退任。後任のビル・デリンジャーへ指導を引き継ぐ。

  12. 1974年

    ワッフルトレーナーが登場。ラバーの突起を備えたソールが、競技選手から一般のランナーへ広がる。

  13. 1977年

    フィル・ナイト、ジェフ・ホリスターとアスレチックス ウエストの設立に関わり、陸上選手の競技活動を支える。

  14. 1981年

    米国陸上競技の殿堂入り。コーチとしての功績が称えられる。

  15. 1982年

    オレゴン・スポーツ殿堂入り。地元のスポーツ発展への貢献が評価される。

  16. 1992年

    オレゴン大学スポーツ殿堂入り。選手育成とチームを全米屈指へ導いた功績を残す。

  17. 1990年代

    ナイキの取締役として活動を続け、シューズ開発にも助言。競技者と地域の陸上競技を支える。

  18. 1999年

    12月24日、オレゴン州フォッシルで逝去。88歳。選手のために靴を作り替えた姿勢は、ナイキの開発思想に受け継がれる。

BILL BOWERMAN 1911–1999

THE SHOES

特集で紹介した代表シューズ

  1. ケニー・ムーア用の手製シューズ

    個々の選手の足に向き合った試作品。

  2. コルテッツ

    長距離走を支えるクッション構造と、ソールのライン。

  3. ムーンシュー

    手作業で作られた初期のワッフルソール。

  4. ワッフルトレーナー

    ワッフルのグリップを、多くのランナーへ届けたトレーニングモデル。

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SOURCES & CREDITS

参考資料・写真出典

写真:Nike / Department of Nike Archives

SHOE DOG(シュードッグ)―靴にすべてを。 フィル・ナイト著
著:フィル・ナイト/訳:大田黒奉之/東洋経済新報社

BOOK / SHOE DOG

SHOE DOG — フィル・ナイトが語る、ナイキの創業物語。

ビル・バウワーマンとともにナイキの礎を築いたフィル・ナイト。その歩みを本人の言葉でたどるのが、自伝『SHOE DOG(シュードッグ)―靴にすべてを。』だ。

日本のオニツカとの出会い、ブルーリボンスポーツの立ち上げ、ナイキブランドの誕生。資金繰りの苦労や仲間との関係を通して、世界的なスポーツブランドが形になるまでを描く。

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